第1期:第1回全国キャラバン

 

中国・四国地区研究会との共催というかたちで、広島でミニ研究会を開催いたしました。

将来構想WG主任:黒田俊郎

 

日 時:2011年7月16日(土)14:00〜17:00

 

会 場:広島修道大学

 

テーマ:平和学の再活性化に向け、平和学の領域を改めて問いなおす。

 

報告1:石田淳(東京大学)

 

  「≪平和≫の再定義−平和をめぐる言説の再検討−」

 

報告2:佐々木寛(新潟国際情報大学)

 

  「≪平和研究≫の再定義—『政治的リアリズム』との節合について−」

 

司会:佐渡紀子(広島修道大学)

 

 

研究会開催の趣旨:現在、将来構想WGでは、平和学/平和研究のさらなる活性化のために、「平和の再定義」をメインテーマとしたミニ研究会を全国キャラバンのようなかたちで連続して開催することを検討中です。広島での研究会は、そのパイロットラン的な意味合いを持ちます。研究会の成果は、平和学会の将来構想に役立つかたちで検証し、今後、将来構想の提言等に生かしていく予定です。

 

 

報告概要1 ≪平和≫の再定義−平和をめぐる言説の再検討−

 

石田 淳

 

 文脈によって、「平和」は現状維持(体制擁護)のシンボルにも現状変更のシンボルにもなる。平和をめぐる言説の現状を確認したい。

 

 まず第一に、《平和》を《暴力》と対置する言説がある。軍産複合体論や開発独裁論のように国家の暴力性を強調する平和論(たとえば平和学会の設置目的を定める会則2条の平和観)はこの文脈で論じられる。

 

 第二に、《二つの平和》を対置する言説がある。これは更に、「全体の平和」と「部分の平和」とを対置する言説と、「強者の平和」と「弱者の平和」を対置する言説に分類できる。前者には「国家の平和」と「地域の平和」を対置する言説(沖縄基地問題など)と、「国家の平和」と「個人の平和」とを対置する言説(各種の補償請求訴訟問題など)がある。後者には、「多数者の平和」と「少数者の平和」とを対置する言説(各種のエスニック・ナショナリズム問題など)と、「占領者の平和」と「被占領者の平和」とを対置する言説(イスラエル・パレスチナ問題など)とがある。

 

 第三に、《平和》と《正義》とを同一視する言説がある。たとえば国連の集団安全保障体制(国連安保理による「平和に対する脅威」の認定と「国際の平和と安全」を回復するための決議の採択)についてこのような角度から批判的に論じられることがある。近年、安保理決議を個別国家が武力による威嚇を背景に強要する試みが破綻して、ユーゴ空爆(1999年)、アフガン戦争(2001年)、イラク戦争(2003年)のような戦争が発生している。

 

そして第四に、《平和》と《正義》とを対置する言説がある。《保護する責任responsibility to protect》と《移行期の正義transitional justice》について国際的な合意が徐々に形成され、棲み分けの平和が修正されつつある。正義の時空間の再編と、紛争の「交渉による解決(negotiated settlement)」や体制の「交渉による移行(negotiated transition)」との間には緊張関係がある。

 

 

報告概要2 ≪平和研究≫の再定義—『政治的リアリズム』との節合について−

 

佐々木 寛

 

 平和研究は、その政治的・宗教的信条にかかわらず、「平和」を独立した価値や主題として対象にしようとするすべての人々が自由に参加することによって発展を約束される。それゆえ、言うまでもなく、まずその「平和」が論じられる個々の時代、個々の社会的文脈における「平和」の意味論が決定的に重要な意味を持ち、その意味で、「平和の再定義」の試みは、これまでも平和研究の終わることのない課題であった。かつての「平和問題談話会」の試みは、当時冷戦によって分断が進む社会状況下で、あくまで独立した「平和」問題の抽出を試みた最初の例であり、その意味で、日本の平和研究にとって、依然として学ぶべき点が多い。

 

 報告では、平和研究を「生成」(1950〜60S)、「展開」(70S)、「構想」(80S)、「多元化」(90S以降)の4期に分けて整理し、平和研究の理論的遺産と各時代に受けたその「存在被拘束性」をふりかえった。「平和」がそれ自体、社会的言説として大きな力をもった平和研究の黄金期(1950〜70S)を経て、それまで「平和」の問題として立てられていた課題が、なぜ次第に主として「正義」や「倫理」、あるいは「安全(保障)」などの言説として語られるようになったのか、あるいは「戦争と平和」というよりもなぜ「リスクとセキュリティ」の問題が注目されるようになったのか、その問題を特に冷戦後に台頭したグローバル化研究の諸成果に照らし合わせ、考察した。

 

 現在、明らかに平和研究は、次第にそのアジェンダを拡散させ、その分野的特性を失いつつある。しかも、当の平和研究内部で、自らのディシプリンそのものの包括的反省は依然として希薄である。しかし平和研究の真の活路は、IRや国際政治学、批判的社会理論の単なる「一部」としてではなく、それらを包摂し、「平和」を独立したテーマとして理論化し続ける、開かれた「フォーラム(場)」であり続けることにこそ見出される。

 

 今後の平和研究の強化のためには、まず基礎としての「臨床知」(地域研究分野)のさらなる拡充が不可欠であり、またそのような現場の知に支えられつつ、他の2つの分野——同時代の平和原理を探究するための政治思想や政治哲学と、広義の「平和構築」のための「実践知」(平和教育や平和運動)——が、具体的な「平和政策」(人権や人間安全保障の実現)に結実する包括的な協働モデルが必要である。また、「3・11」以後の平和研究は、新しい<文明>のあり方を探究するという新たな課題に取り組むことで、自らの特長であるその学問的包括性をさらに活かすことができる。

 

 

参考資料

 

当日配布のレジュメなど

 

(石田報告レジュメ)

caravan1_ishida_resume.pdf

 

(佐々木報告レジュメ)

caravan1_sasaki_resume.pdf

 

(佐々木報告要旨)

caravan1_sasaki_abstract.pdf