「非暴力」
責任者:藤田明史
E-Mail: aft21620(a)pl.ritsumei.ac.jp
21世紀初頭において世界の未来は不透明である。既存の秩序は急速に崩壊しつつある。しかし、それに代わる新しい秩序は未だ明確な姿を見せない。しかも、人間の存続に関わる諸問題が噴出している。とりわけ「戦争と平和」は焦眉の課題であろう。現代において、われわれが平和の創造に失敗すれば、その先には、世界核戦争という底なしの奈落があるかもしれないからだ。
こうした状況に対処するための有力な概念の一つが「非暴力」(nonviolence)であろう。非暴力は一つの状態を示すから、より実践的にそれを「非暴力抵抗」(nonviolent resistance)と表現しても良い。しかしここでは、そうした実践的な要素をも含む概念として「非暴力」を用いる。本分科会はこうした非暴力概念の一層の深化・発展を目的とする。具体的な課題をいくつか示そう。
・非暴力を個人の内面的な倫理規範だけにとどめず、それを大衆的な政治の場に適用したのはガンジーをもって嚆矢とする。彼はそれを「サティアーグラハ」(真理把持)と名付けた。ガンジーのサティアーグラハとは何かの解明は、依然として現代のわれわれにも重要であろう。
・ガンジー以後、非暴力の概念は理論的・実践的にどのように展開されたか。これには、阿波根昌鴻、ハンナ・アーレント、マザー・テレサ、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、ジーン・シャープ、マーシャル・ローゼンバーグ等といった人たちの非暴力に関わる思想が取り上げられるであろう。
・ヨハン・ガルトゥングは、暴力概念の拡張を行った(直接的→構造的→文化的)。暴力概念の拡張は非暴力概念の拡張に繋がる。そこから、どのような新しい非暴力の形が生まれるか。現代において暴力はそうとは見えない姿でしばしば現れるから、この点の探求は興味ある課題となろう。
・非暴力の運動は世界各地でどのような形で行われているか。理論と実践の関係の解明という観点からも、これらの事例研究は重要な課題となろう。また、これと関連して、非暴力トレーニングを実際に行うことも、本分科会の活動の視野に入れたい。
・日本社会には、非暴力の思想は十分に根付いていないのではないか。非暴力はたんに言葉の上だけにとどまり、日本人の経験に深く根差していないようだ。しかし、明治以後の歴史にも、非暴力の萌芽はあったに相違ない。近代日本におけるそうした非暴力に繋がる思想の発掘も、本分科会の課題としたい。
以上の他にも重要な課題があるに違いない。多くの会員が「非暴力分科会」の活動に関心をもち、積極的に参加してくださることを期待したい。
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日本平和学会「非暴力」分科会 活動記録
責任者 藤田明史
2024年春季研究大会 6月1日(土)13:30-15:30 学習院大学
テーマ:いかにして非暴力で核廃絶は可能か
報告:渡辺洋介(ピースデポ研究員)
「核戦争を防ぐ市民の非暴力平和運動――北東アジア非核兵器地帯とノー・ファースト・ユース・グローバル」
討論:安斎育郎(立命館大学国際平和ミュージアム終身名誉館長)
司会:藤田明史(立命館大学)
このテーマを企画した動機は次のようであった。ここに雑誌『技術と人間』の1975年1月号がある。ここにはピースデポの創設者である物性物理学を専攻する梅林宏道氏の「科学技術者――その認識と存在の位置」という論稿が掲載されている。ここに述べられた「人民営為としての科学技術」という思想が、1997年11月のピースデポの設立に繋がったといえよう。同じ号に、ゴフマン/タンプリン著『原子力公害』の書評という形で、放射線防護学が専門の安斎育郎氏の論稿「原子力開発強行がもたらす未来」が載っている。「日本の原子力開発は、その対米従属性にひとつの重要な特徴をもっている」との洞察は、その後の氏の原子力開発批判の基調となっている。同号に私も登場する。「社会科学的視点の確立を」と題する小文を一読者として投稿した(当時は事務屋として製鉄所で原価計算をしていた)。いま私の関心の中心にある平和研究にこれが繋がっていると感じる。本号が出たのは戦後30年目、それからほぼ50年を経たいま(来年はヒロシマ・ナガサキから80年である)、再度三者が会合し対話を始めれば、そこから核に関わる全く新しい行動規範が生まれるのではないか。
報告者の渡辺会員(ピースデポ研究員)は自身の主要な活動を詳細に語った。それは三つの仕事からなる。
第一は、北東アジアの非核化をめざす北東アジア非核兵器地帯構想に関わる仕事である。世界には現在、南極条約によりあらゆる軍事利用が禁止されている南極大陸、一国単位でのモンゴル非核兵器地帯地位を含め、7つの非核兵器地帯がある。ピースデポは1990年代半ばから「北東アジア非核兵器地帯3+3」構想(南北朝鮮と日本を非核兵器地帯とし、米・中・ロが核攻撃をしない消極的安全保証を与える)を提唱し、2004年にはモデル「北東アジア非核兵器地帯条約」を発表した。この「スリー・プラス・スリー」構想を基礎に、これに朝鮮戦争終結宣言を付加するなどのより包括的なアプローチが提案されている。2022年8月8日には、日本側から5人、韓国側から4人の国会議員が長崎に集まり、「北東アジア非核兵器地帯3+3設立をめざす国際議員連盟」が発足した。このようにピースデポなど市民団体が主体となり、北東アジア非核化の運動が行われている。
第二は、核兵器の先行不使用(ノー・ファースト・ユース [NFU])宣言の呼びかけである。2021年1月20日、NFUに前向きと見られたジョー・バイデンが米国大統領に就任したことを機に同年春、「アボリション2000」の中に新たなワーキンググループ「NFUグローバル」が立ち上げられ(ピースデポは共同設立団体の1つ)、核兵器の先行不使用政策の採用を呼びかける世界規模のキャンペーンが開始された。NFUグローバルは、6月16日にジュネーブで開かれた米ロ首脳会談に合わせ、スイスの市民団体の国際平和ビューローを通じ、6月7日に公開書簡「米ロ首脳会談に際してのバイデン大統領とプーチン大統領へのアピール」を米ロ両政府に送付した。同書簡にはゴルバチョフソ連書記長とレーガン米大統領との共同声明(1985.11.25)にある一節「核戦争には勝者はなく、決して戦ってはならない」との方針が再確認されていた。6月16日に出された米ロ共同声明にはその一節が挿入された。また、2022年1月に米ロ中英仏の5カ国が発表した「核戦争の防止と軍拡競争回避に関する共同声明」にも同じ一節が入った。
第三は、「核の使用と脅しの禁止」国際法化キャンペーンである。2022年11月にインドネシア・バリで可開催されたG20首脳会議の共同声明には「核兵器の使用またはその威嚇は許されない」との一節が含まれていた。NFUグローバルはこの点を受け、2023年4月11日、ウェブサイトに「核のタブー:規範から法へ、公共の良心の宣言」を公表した。このキャンペーンは主に署名活動として展開されている。ピースデポが集めた署名は2024年4月末までに2万3千筆を超えている。
結論として報告者は次の2点をあげた。
・いずれのキャンペーンも現時点では大きな成果をあげたとは言い難い。しかし、市民社会が何もしなければ事態はさらに悪い方向に進んでいた恐れがある。
・核戦争を防止し平和な社会を築くためには、市民社会が国際的に連帯して公平な立場から各国政府に圧力をかけ続けることが必要である。
討論者の安斎会員からは、まず、1985年のゴルバチョフ/レーガン共同声明に繋がるような時間的にもグローバルな仕事をピースデポが継続的・日常的に行っていることに感謝の念が表明された。
活動の継続性に関して、すぐに結果がでなくても、運動を地道に続けて行くことがとても重要である。たとえば、能登半島の先端に建設が計画されていた珠洲原発は長期にわたる住民の反対運動によって計画そのものが凍結された(2003年)。もし計画通り建設されていたなら、今回の能登半島地震(2024.1.1)によって福島原発事故(2011.3.11)と同様の事故が起こっていたであろう。
宇治に建立された詩人尹東柱(ユン・ドンジュ、1917ー1945)の「記憶と和解の碑」のことを語りたい。尹東柱は、日本留学中に治安維持法違反容疑で逮捕され、獄死した朝鮮の詩人である。1943年初夏、彼は同志社大学の同期生と共に宇治川を訪れ、そこで集合写真を撮った。その写真が発見され、これを基に2005年、宇治市民を中心に「詩人尹東柱記念碑建立委員会」が結成された。そして2017年10月、宇治川のほとりに「詩人尹東柱 記憶と和解の碑」が建立され、現在では日韓市民の交流の場となっている。この市民運動から多くの教訓が引き出すことができる。
「記憶と和解の碑」建立までの宇治市民による運動は、いわば “Think globally, act locally.”の運動であった。しかし今後は、この碑の意味を宇治から世界に発信する“Think locally, act globally.”の運動にしていきたい。この観点からいえば、ピースデポは“Think globally, act globally.” の活動が主になっている。すなわち、多様な市民運動の形態があるということだ。
核廃絶はグローバルな課題である。これを“Think globally, act locally.”の市民運動で行うことは可能だろうか。もしそれが実現できれば、それは今までにない新しい社会運動になるだろう。そして、そこでの知識人の役割はどのようなものか。平和学会においてこのような問題をぜひ検討してほしい。
分科会企画者として最後に次のことを書いておきたい。梅林宏道著『抵抗の科学技術』(技術と人間、1980年)の「まえがき」に尹東柱の言葉が引用されている。「人生を生きて行くのは難しいと言うのに、詩がこれほどたやすく書けるのは恥ずかしいことだ。」ここには、こころの奥底にふれる深い何かが表現されている。市民運動を担う者にもやはり深い思想性が求められているのだ。
(藤田明史)
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2023年秋季研究集会 11月25日(土)12:00-14:00 早稲田大学
テーマ:非暴力抵抗としての日本における反原発運動
報告:松久保 肇(原子力資料情報室 事務局長)
「日本の原子力政策の現状」
討論:高橋博子(奈良大学)
司会:藤田明史(立命館大学)
現代において原子力のエネルギー利用すなわち原子力発電は1つの暴力であるといえよう。それは国および電力会社によって強力に推進されている。日本における反原発運動はそうした国および電力会社の原子力政策への批判という形で行われてきた。ゆえに、それは原子力に関わる1つの暴力批判であり、今回のテーマにある「非暴力抵抗としての」という表現にはそうした意味が籠められている。日本の反原発運動を中心になって牽引してきたのが原子力資料情報室(CNIC、1975年設立)である。2011年3月11日以後、現在に至るも、日本の原子力政策は混迷を極めている。こうした状況にあって、本分科会として、CNIC事務局長の松久保肇さんに「日本の原子力政策の現状」と題する報告をしていただくことは時宜にかなっていると考えた。当日の進行として報告者には70分、討論者の高橋会員には20分を割り当て、残る時間を会場およびオンライン参加者との質疑応答に充てた。
報告はまず、グテーレス国連事務総長の「地球沸騰化の時代が来た」との印象的な言葉から始められた。このような一般的言説を背景に、政府による「GX[グリーントランスフォーメイション]実現に向けた基本方針」が閣議決定された(2023年2月)。そのため150兆円(内20兆円は政府充当)が支出される。それは、「脱炭素成長型経済構造への円滑な移行の推進に関する法律(GX推進法)および「脱炭素社会の実現に向けた電気供給体制の確立を図るための電気事業法等の一部を改正する法律(GX電源法)から成る。後者は、原発推進のために、原子力基本法、電事法、炉規法など5つの法律の束ね法である。すなわち、岸田内閣のGX方針によって、3.11の経験を踏まえた〈将来的な脱原発は既定路線〉から、脱炭素に向けた〈将来にわたって原発を使い続ける〉路線へと政策が180度切り換えられたのである。内閣総理大臣を議長とする推進主体であるGX実行会議を構成する13名の有識者からは、原子力に否定的な発言が行われることはまずない。その下部機関である原子力小委員会は、委員18名、専門委員3名から成る(報告者は委員の1人)。原子力基本法の改正として次の2条3項が付加された。「エネルギーとしての原子力利用は、国及び原子力事業者(…)が安全神話に陥り、…福島第一原子力発電所の事故を防止することができなかったことを真摯に反省した上で、原子力事故(…)の発生を常に想定し、その防止に最善かつ最大の努力をしなければならないという認識に立って、これを行うものとする」(太字は報告者)。にもかかわらず、〈福島の声は政府の政策策定過程・国会での審議の中で全く聞かれていない〉。報告者のこの証言は、政策決定過程における政府・電力会社の基本的な態度を明示するものとして、重要な意義を有しているであろう。詳細なデータに基づいて諸論点を解き明かしたあと、全体のまとめとして次の5点が示された。
・民意を反映しない原子力産業
・脱炭素に貢献せず、経済性も悪い原子力
・原発は地域経済を活性化していない
・過疎化地域を狙う原子力産業
・核兵器と密接に関連する原子力産業
討論者は、ヒロシマ・ナガサキにおける被曝の隠蔽の歴史を主たる研究課題とされている。被曝の観点からは核兵器と原発は一体である。2002年5月13日、ここ早稲田大学において、安倍晋三官房副長官(当時)は「核兵器は違憲ではない」との趣旨の発言を行った。同5月27日、参院予算委答弁でも、「自衛のための必要最小限度を超えない限り、核兵器であると、通常兵器であるとを問わず、これを保有することは、憲法の禁ずるところではない」と述べた。当時、ワシントンDCでリサーチ活動をしていた討論者は、当地の研究者仲間から日本の核をめぐる政治状況について逆に危惧の念を表明された。被曝の問題では、内部被曝と残留放射能の問題が重要である。2021年7月14日、広島高裁での「黒い雨」訴訟で原告が勝利し、政府は上告を断念した。しかし、同7月27日の首相談話(当時は菅首相)で、「とりわけ、『黒い雨』や飲食物の摂取による内部被曝の健康影響を、科学的な線量推計によらず、広く認めるべきだとした点については、これまでの被爆者援護制度の考え方と相容れない」と述べた。これは米核戦略への追随に他ならない。核発電と核兵器保有はセットになっているのだ。ゆえにわれわれは、反原発と核廃絶とを一体のものと考える必要があろう。
質問が多く出された。それはわれわれ一人一人が真剣に考えるべき問題である。ゆえに、以下に列挙しておきたい。
・原発は事実として軍事基地の機能を担っているのではないか?
・非暴力抵抗としての反原発運動にはどのような手段が有効か?
・原発を推進する日本政府の真意は一体どこにあるのだろうか?
・福島原発事故以後のアカデミズムの現状に関し、風評被害という言葉で加害者と被害者を逆転させる言説がはびこる現状を、どう考えればよいのか?
(藤田明史)
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2023年春季研究大会 6月17日(土)12:00-14:00 奈良大学
テーマ:現代社会における非暴力的抵抗の意義
報告:栁澤有吾(奈良女子大学)
「問い直される(非)暴力――ウクライナ戦争から考える――」
討論:木戸衛一(大阪大学)
「『正義』と『平和』の相克――栁澤報告に寄せて――」
司会:藤田明史(立命館大学)
今回の「非暴力」分科会は、ロシア・ウクライナ戦争という我々にとっても精神的に厳しい状況下において行われた。この戦争の意味を「現代社会における非暴力的抵抗の意義」という大きな枠組みで考えることが、当分科会にとって避けることのできない課題であり、また責任でもあると考えた。そこで、戦争倫理学を専攻する栁澤会員に報告を、ドイツ現代社会を専攻する木戸会員に討論をお願いすると快く引き受けてくださった。両会員に感謝する。当日の進行として報告者には50分、討論者には30分を持ち時間として割り当て、その後、討論への報告者からの回答、残る時間を会場およびオンライン参加者との質疑応答に充てることにした。
まず、栁澤会員の報告は、「戦争であれば何をしてもいいのか?」との根源的な問いが基調になっていた。「戦争倫理」という概念はこの問いから由来するのに相違ない。「正戦」「平和主義」「(非)暴力」といった鍵概念がここから生まれる。ウクライナ戦争に関して、それが始まってしまった以上、問題の焦点は「戦争終結と和平へのきっかけをどのタイミングでどこに求めるのか」である。被侵略国であるウクライナへの武器の供与を促進し、侵略国であるロシアを疲弊させ、ウクライナに有利な条件で停戦にもち込もうとするのは、正しい政治判断のように見える。しかし、果してそうか。そこに至るプロセスにおいて出るさらなる犠牲への「痛み」をそこに見出すことはできないであろう。そうした痛みの無視は何を意味するのか。腐朽ないし衰退? 実は、「戦争の終結を迫るのは、なによりも道徳的な根拠なのだ」(ハーバーマス)。結論は次のようである。「停戦は単なるオプションや努力目標ではなく、平和への入り口としてつねに優先的に目指されねばならないものであり、全プロセスを方向付ける理念的側面を有しているというべきであろう。」
討論者の木戸会員からは、栁澤報告に対して、「『正義』と『平和』の相克」との観点から批判的検討が行われ、そのために主として現代ドイツの事例が示された。マハトマ・ガンディーが発した「結局のところ、大切なのは道徳的価値である」(「ヒトラー主義とどうして闘うか」1940年6月)との言葉、1940年11月14―15日のドイツ空襲における「コヴェントリーの釘十字」のエピソードに関してナチ・ドイツが「コヴェントリーのように粉砕する」との意味でcoventrierenという動詞を用いたこと、1990年にベルリンに「ガンディー情報センター」が設立され、2022年4月30日には「あらゆる戦争に反対し、平和を擁護する」との声明を出したこと、などが紹介された。こうした平和の伝統にも拘わらず、ドイツの平和運動はいま「苦境」に立たされている。2023年4月8日にブランデンブルク門前で「新しい平和運動」として「ウクライナに武器を!」が叫ばれ、同6月12―23日にはドイツが主導し25カ国1万人が参加したNATO史上最大の空軍演習が行われた。
今回、「非暴力」分科会の責任者として栁澤会員に報告を依頼したのは、「『ウクライナ支援』が意味するもの――戦争倫理学の一視角――」(『季報唯物論研究』第161号、2022.11)と題する氏の出色の論稿を読んでいたからである。正直に言って、「戦争倫理学」という言葉自体が形容矛盾のように思え、当初はかなり違和感をもった。しかし、報告を実際に聴き、そうした概念を敢えて使うことで戦争という事象を深く捉え得ることを知ったのは幸いであった。
なお、今回の「非暴力」分科会はハイブリッド形式で行われ、多くの会員・非会員に参加していただくことができた。一方、責任者の準備不足のため機器の運用に手間取り、質問・討論の貴重な時間がほとんどなくなってしまった。このことを参加した皆様に深くお詫びしたい。
(藤田明史)
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2022年秋季研究集会 11月26日(土)12:00-14:00 愛知大学(名古屋キャンパス)
テーマ:現代における非暴力的抵抗の有効性
報告:シン・ヒョンオ(立命館大学国際地域研究所客員協力研究員)
「韓国における良心的兵役拒否―韓国の兵役制度と軍の性格に関する再考から」
報告:中原澪佳(新潟大学博士研究員)
「フレイレと暴力―社会変革の方法をめぐって―」
討論:勝俣誠(明治学院大学国際平和研究所PRIME研究員)
司会:藤田明史(立命館大学)
報告者には各30分、討論者には20分を持ち時間として割り当て、その後、討論にたいする各報告者からの回答、残る時間を会場およびオンライン参加者との質疑応答に充てた。
まず、シン会員の報告は、「良心の自由」「兵役拒否」「市民的不服従」「兵役制度」「軍の反憲法性」をキーワードに、韓国における兵役制度がもたらす社会の種々レベルへの影響――内面的・個人的・制度的な――を実例に即して詳細に分析したものである。韓国の場合、北朝鮮主敵論および米韓同盟のもとで強制的徴兵制がとられている。こうした現状を前提に兵役制度に関して徴兵制か募兵性かというきわめて矮小化・単純化された議論が行われてきた。これに対して報告者は、兵役拒否運動の核心を「戦争が持続される構造と自分の生を切り離す実践」であるとする。これは兵役拒否の本質を的確に捉えた実践的にも有効な概念規定であろう。なぜならそれは、第1に、自己を分析対象から一定の距離に置くことで対象に関する批判的かつ多様な考察を可能にし、第2に、課題自体の一般化により自由なそして開かれた討議の場の設定を可能にするからである。今後、より広いそしてより深い考察の展開が期待される。
ブラジルの社会思想家パウロ・フレイレ(1921-1997)に関する中原会員の報告は、「パウロ・フレイレ」「教育」「社会変革のための暴力」「社会運動」をキーワードに、社会変革における暴力の役割という視点からフレイレの社会変革の思想の変遷を分析し、そのことを通じてフレイレ思想を理解するための鍵となる「意識化」および「教育」という概念の意味を明らかにしようとする。そして、フレイレの社会思想は、「革命行為による社会変革」から「社会運動による社会変革」へと「段階的」に変容していったとする。ここで「段階的」という規定がきわめて重要である。より人間の主体性に即してそれを表現するならば「変身」と言いかえることができよう(ガンディーの生もいくどかの変身を経験している)。社会環境の変化への単に受動的な適応でないとすると逆説的に変身は強靭な精神の一貫性を示すものである。そのようなフレイレの生において意識化や教育という言葉で彼が何を表現しようとしていたのか。これは現代において深く追究するに値する重要な課題であるに相違ない。
討論者の勝俣会員からは、シン報告に対しては「日本には軍隊がない」という指摘、中原報告に対しては「軍政下における識字教育はきびしい運動であった」という指摘がそれぞれ行われた。それは当初、唐突にポンと放り投げられた言葉に過ぎないように感じられたが、よく考えると、報告内容に深く関わる的確な問題提起であることが参加者全員に了解された。その後、それに触発され、活発かつ豊かな議論が参加者間で行われた。
なお今回の「非暴力」分科会は、対面とオンラインのハイブリッド形式で行われ、多くの会員・非会員に参加していただくことができた。それらの方々に責任者として心より感謝したい。
(藤田明史)
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2019年秋季研究集会 11月2日(土)12:10-14:00 新潟県立大学
テーマ:現代における「非暴力」概念の意義を考える
報告:寺島俊穂(関西大学)
「ジーン・シャープの非暴力思想」
司会:藤田明史(立命館大学)
「非暴力」分科会責任者という立場から、私は、以前よりも非暴力の現代的意義について突き詰めて考えるようになった。そして今では、現代において「非暴力抵抗」の概念が、「新しい社会」への扉を開く有効な鍵(の一つ)であると確信している。なぜなら、そうして形成される新しい社会においても、その維持・発展のために「非暴力」の概念は有効であり続けるに相違ないからだ。
今回、寺島俊穂会員の「ジーン・シャープの非暴力思想」と題する報告は、本分科会のさらなる活性化のために時宜に適ったことであった。ジーン・シャープ(1928-2018)は戦略的非暴力の理論家であり、「生涯をかけて非暴力手段の有効性を高めようとして実証研究を積み重ねた」研究者である。彼の著作『独裁から民主主義へ』(2011)は、副題として「解放のための概念的枠組み」とあるように、今後の世界において(もちろん日本においても)人々の解放(liberation)のための重要な指針となるであろう。
報告の要旨は次のようであった。
・非暴力は、原理的非暴力(principled nonviolence)と戦略的非暴力(strategic nonviolence)とに概念区分できる。シャープは朝鮮戦争の時、兵役拒否で投獄された経験があり、平和主義的信念をもっていたが、方法的には非暴力抵抗を平和主義から切り離し、戦略的非暴力の立場に立った。
・シャープは非暴力理論において権力概念を重視する。権力は民衆の支持や協力がなければ成り立たない。ゆえに権力を支える基盤を詳細に分析することで、逆に非暴力が有効に機能する状況が明らかになる。ここから、「本当の権力は、団結した人びとの力から生まれる」との認識が生まれる。この意味での権力は「非暴力の道徳的な勇気」に依拠し、それは非暴力革命の原動力である「民衆の力」(people power)の基盤となる。
・シャープの戦略的非暴力は、1.目標を立てる、2.目標実現のための戦略や戦術を考える、3.目標達成の過程で現実をつくり変えるとともに自分自身も相手も変えていく、という諸段階を経る。1については、戦争の廃絶および独裁体制の崩壊を最重要な課題とする。2については、非暴力行動の 198 のメソッドをあげる。3については、非暴力闘争が相手を敵視しない闘争方法であることを示す。
・シャープの戦略的非暴力論は「暴力から非暴力への方向転換」の思想であり、これまで当然視されてきた見方を根底的に転換するという意図が込められている。すなわち、次の諸転換である。民族解放闘争→非暴力非服従運動暴力革命→非暴力革命軍事的防衛→市民的防衛
・これまで世界各地でこうした戦略的非暴力の行動の一定の成功例が認められる。
・しかし日本においては、生活の場から国家レベルの政策に至るまで、非暴力手段で現実を変革するというシャープの戦略的非暴力の思想が、十分に根付いているとは到底いうことはできない。
参加者からの質問は次のようであった。
ガンディーにとっては戦略的非暴力とともにあるいはそれ以上に原理的非暴力が重要である。このような立場からは、権力を倒した後にどのような社会をつくるのか、が重要な課題となる。シャープはこの問題についてどのように考えていたのか? これに対し報告者からは、この問題を考えることにシャープ自身はきわめて禁欲的であったとの回答があった。
戦略的非暴力行動として具体的な闘争方法を明示することは、権力によってそれが逆に利用される危険があるのではないか? それにどう対処していくのか?
たとえばフィリピンの政治状況を考えると、民衆が非暴力で対抗権力を形成しても、その内部において意見の相違に起因する暴力が発生しがちである。また政権による人権制限の程度は、それへの対抗として暴力的手段に訴える他ないと思わせるような現実がある。こうした状況で、非暴力的手段による社会変革は原理的に困難ではないか?
日本において非暴力の思想が根付かないのはなぜか? これに対し他の参加者から、伝統的に異端の徒が稀少な日本社会では、不服従のための道徳的な勇気が不足しているとの指摘があった。
いずれもが重要な問題であり、今後も継続的に検討していきたい。参加者は約 15 名であった。
(藤田 明史)
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2019年春季研究大会 6月23日(日)12:30-14:00 福島大学
テーマ:ガンディー思想は現代のわれわれに何を問いかけているか?
報告:藤田明史(立命館大学)
「ガンディー思想の現代的意義について
――竹中千春『ガンディー』(岩波書店、2018)に触発されたこと」
討論:竹中千春(立教大学)
司会:中原澪佳(新潟大学)
まず、ガンディーの頭像(福井市美術館所蔵、1960)がスクリーンに映し出された。彫刻家高田博厚(1900-1987)の作品。1931年11月、パリ近郊に滞在中、師のロマン・ロランに呼ばれ、ロンドン円卓会議からの帰途スイスのジュネーブに立ち寄ったガンディーと、レマン湖畔のヴィルヌーヴに居住のロランとの間で行われた対話に高田は同席したのだった。彫刻はその30年後に作られた。報告者は、複雑さと単純さとを併せもつガンディーの精神が良く表現されていると評した。
ガンディー(1869-1948)は深層の思惟と何よりも行動の人であったから、彼の思想を多少とも知るためには、その行動からわれわれが主体的にそれを読み取らねばならない。こうした問題意識から報告者は、1998年5月のインド核実験の際の「印パ速報」(ピースデポ主宰)の発行、2004年1月にインドのムンバイ(旧ボンベイ)で開かれた「世界社会フォーラム」への参加等における自身の「ガンディー体験」を述べることから始めた。そして結論として、ガンディーを対話的人間と捉え、その根拠をガンディーが多言語話者(polyglot)でありかつ多宗教信者(poly-religious)であったことに求め、ここにガンディー思想の現代的意義があるとした。一方、竹中千春『ガンディー』は、以上とは全く異なる方法に依拠している(と報告者には思われた)。冒頭の「誰が平和を作るのか。その人はどこから来るのか」とは平易な問いである。しかし、こうした平易な問いに答えることの困難性の中にこそ、本書の独創があるのではないか。その方法も一見平易である。一人物の呼称の変化の中に彼の存在の意味を探究するというものだ。すなわち、モーハンダース⇒ガンディー⇒マハートマ・ガンディー(彼の青少年時代、南アフリカ時代、インド時代にほぼ対応する)。とりわけ、マハートマ・ガンディーをどう捉えるか? マハートマ(偉大なる魂)とは、インド民衆がガンディーに与えた呼称である(この呼称は彼自身には苦痛であった)。ゆえに、この問いに答えるには民衆の側からの視点が必要となる。著者はここでサバルタン・スタディーズの方法を意識的に使っているようだ。ガンディー思想の解明に、それ自体がガンディー的な民衆史の方法を適用したところにも著者の独自性が認められよう。
討論者の竹中会員はまず、次の2点を指摘した。第一は、「インド大反乱」(1857-1859)後にガンディーが生まれたこと、第二は、大英帝国による植民地支配下のインドにおけるエリートでガンディーはあったこと。これらはガンディーの活動をインド亜大陸の歴史において見るうえで重要な視点を与える。次にガンディーの頭像の映像に呼応して、ガンディーの少年時代および青年時代の写真がスクリーンに映し出された。そして、少年時代のモーハンダースからは後年のマハートマ・ガンディーを想像することさえできないこと、青年時代の颯爽としたガンディーはさぞかしプレイボーイであったに相違ないことなどが、ユーモアを込めて語られた(そういえばガンディー自身、実はユーモアがたっぷりある人だったのではないだろうか――報告者の感想)。ここから、「『変身』していくガンディー」というきわめてユニークなガンディー像が提示された。それぞれの「変身」において彼はその可能性をとことんまで追求する。ガンディーの「多面性」「両面価値性」はここから生まれる。最後に、サバルタン・スタディーズについて、それは1970年代後半から、カースト・宗教・民族などのアイデンティティを主張する「民衆」が政治の主体として登場してきたことを背景に展開された、疎外されてきた「サバルタン」が主体となった「インド人がインドの歴史を書く」という歴史記述の方法である、といった内容説明があった。
参加者からの質問のうち、次の2つを記しておこう。
・ガンディーの「変身」をつらぬく一貫したものがあるとすれば、それは何か?
・『ガンディー』では、「殉死の思想」について「いかに美しく語られようと、殉死もまた暴力的な死ではないか」と否定的に捉えられている。一方、ガンディーのサティアーグラハ(真理把持)にも、「自らが苦痛を被らなければならない」という、突き詰めれば「殉死」に繋がる要素が含まれている。このことをどう考えるか?
いずれもわれわれ一人一人に向けられた重要な問いであろう。なお、30名以上の参加者があり、盛況な分科会となったことを最後に記しておきたい。 (藤田明史)
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2018年秋季研究集会 10月28日(日)12:10-14:10 龍谷大学深草キャンパス
合同開催 「非暴力」分科会、「平和教育」分科会
テーマ:「世界の非暴力運動の展開と平和教育のあり方」
報告 1:山根和代(立命館大学)
「アメリカの非暴力的抵抗の歴史と非暴力主義の教育について」
報告 2:寺田佳孝(東京経済大学)
「ドイツの平和研究と平和教育学の展開」
報告 3:高部優子(横浜国立大学博士課程後期)
「平和教育プロジェクト委員会の成果と理論化に向けて」
司会:藤田明史(立命館大学)、杉田明宏(大東文化大学)
今回は「非暴力」分科会と「平和教育」分科会との合同分科会を開催した。分科会責任者連絡会議で合同分科会が推奨されていたこともあるが、報告内容から見て合同分科会が適切だと判断したからである。三つの報告が行われた。それぞれ報告者の問題意識に基づくきわめて興味深い内容であった。しかし、時間の制約もあり、「世界の非暴力運動の展開と平和教育のあり方」というテーマに照らして見て、全体として何が問題なのかがもう一つ把握し切れないもどかしさが残ったように感じる。
山根報告「アメリカの非暴力的抵抗の歴史と非暴力主義の教育について」では、まず、アメリカで出版された For the People: A Documentary History of the Struggle for Peace and Justice in the United States (2009) の内容の詳しい紹介が行われた。本書はアメリカの植民地時代からイラク戦争までの歴史における平和と人権を求める努力と闘争を扱っている。今まで学校で教えられなかった事例も取り上げられている。平和教育・人権教育の面にも配慮され、討論のために各章には適切な質問が用意されている。日本では、沖縄の平和資料館「ヌチドウ宝の家」、立命館大学の国際平和ミュージアム、高知市の平和資料館「草の家」等の平和のための博物館で、非暴力主義の展示が行われているものの、全体として、日本において歴史的・体系的な展示が行われているとはいえない。その意味で、精神において “For the People” のような、日本の事例に即した非暴力運動を扱った書物が求められている、ということが本報告の趣旨であった。
寺田報告「ドイツの平和研究と平和教育学の展開」は、1970 年代にドイツで発展した平和研究と平和教育学のつながりを分析した上で、最近のドイツにおける両者の現状について言及した(現在のドイツ平和研究には 1970 年代のような勢いは見られないとのことだ)。参加者は日本の場合と比較しつつ、本報告を興味深く聴くことができた。とりわけ、ドイツの場合、「平和教育」の前に「政治教育」があるとの指摘は新鮮であった。ドイツの政治教育学者・ザンダーの定義によれば、「政治教育(Politische Bildung)とは、特定の社会の価値・態度・行動形式を身に着ける『政治的社会化』の過程である」(2005)という。きわめて周到に考えられた定義である。ドイツでは政治教育の一分野として平和教育があるのだ。一方、日本では「政治教育」という概念それ自体が希薄ではないだろうか。この点は、日本の今後の「平和教育」の内容・あり方を考えるとき、重要な論点の一つとなるように思う。
高部報告「平和教育プロジェクト委員会の成果と理論化に向けて」では、2014 年以来続けられてきた「平和教育プロジェクト委員会」の活動をこの時点で反省・総括し、今回の報告が、その成果を理論化するための第一歩と位置付けられた。これまでの委員会のテーマに含まれるキーワードは次のようだ。「ワークショップ」「平和な関係性」「ヒロシマをめぐる〈コンフリクト〉」「平和でゆんたく」「対話」「レイシズムにさよならする方法」「ロールプレイ」「平和のためのリテラシー」「やり⇔とり力」。こうした実践の上に、その成果を一般社会に発信していくのに、今後の活動の方向性を示してくれる「理論化」が必要となっているのだ。そのための鍵概念の一つとして「包括的平和教育」が提出された。おそらくさらにいくつかの鍵概念が案出され、それを基礎に豊かなそして深い「理論」が創出されることが期待できよう。
今回の分科会企画を通じて、一見内容的にかなりかけ離れていると思える「分科会」との合同分科会が、意外に面白い結果を生むのではないかということに気づいた。ただ、そのためには分科会間の事前の準備・調整が今まで以上に必要となろう。しかしやってみる価値はあるのではないだろうか。
(藤田明史)
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2018年春季研究大会 6月23日(土)12:00‐14:00 東京大学駒場キャンパス
テーマ:現代日本における非暴力運動の実際と可能性
報告1:田部知江子(東京弁護士会・日本反核法律家協会理事・原爆症認定集団訴訟弁護団・日本アンガーマネジメント協会シニアファシリテーター)
「平和構築におけるアンガーマネジメントの可能性」
報告 2:田村あずみ(滋賀大学国際センター特任講師・立命館大学客員協力研究員)
「文化的暴力への非暴力的抵抗:現代日本における『生の政治』の考察」
司 会:藤田明史(立命館大学)
「非暴力」分科会の活動は、数年の中断後、今回から再出発することになった。その基本方針を責任者(藤田)が「テーマ概要」にまとめている。最初に司会者として、その要点を次のように述べた。非暴力に関して、ガンディーの「サティアーグラハ」とは何かの解明は、現代の学問的課題として依然として重要であろう。日本平和学会には優れたガンディー研究家がおられる。ある段階において、われわれがこうした専門的知見に触れることは、きわめて有益かつ不可欠である。
一方、一般のわれわれもガンディーないし非暴力について、一定のイメージをもっている。ゆえに当面は、「非暴力」分科会を、できるだけ多くの方々が、各自のイメージを把持しつつも、専門分野に基づく独自の問題意識から、自由にテーマを設定・報告することのできる場にして行きたい。非暴力の概念の一層の深化・発展はそうした場においてこそ可能となるだろう、と。今回の二つの報告はこうした趣旨にまさに沿うものであったと考えている。なお、当日の参加者は約二十名、質疑応答も活発に行われた。
田部報告「平和構築におけるアンガーマネジメントの可能性」は、氏が弁護士の立場からこれまで主として訴訟を通じて関わってきた「アンガーマネジメント」の思想・スキルを、より広く「平和構築」の分野に生かしたいとの問題意識から行われた。「怒り」とは何か? 怒りとは人間の基本的な感情である。もしそうなら一体、「怒り」の何が問題となるのか? ワークショップの手法を活用しつつ、氏はアンガーマネジメントの要諦を、人が「『怒り』で後悔しないようにする」ことであると端的に指摘された。参加者の多くは、自分の体験とつき合わせ、身につまされる思いがしたに相違ない。「怒り」は、犯罪や暴力の一原因であり、また、原爆症認定集団訴訟などでは、被害者・原告が立ち上がる原動力でもある。個人において前者は「アンガーマネジメント」が失敗した場合、後者はそれが成功した場合と見なすことができよう。すなわち、「アンガーマネジメント」は、暴力を「非暴力」に変換する有効な一つの手法なのである。
田村報告「文化的暴力への非暴力的抵抗:現代日本における『生の政治』の考察」は、現代の日本社会、とりわけ3.11後の日本社会に顕著になった格差、そしてそれを正統化する自己責任論のような言説に対して、われわれはいかに対処できるか・すべきかという基本的な問いを発している。これへの自身の回答として、一方では「文化的暴力への非暴力的抵抗」、他方では「『生の政治』の創造」が提唱される。そして両者を等置することの中に、報告者の独創的な思想が表現されているようだ。そのプロセスを担う主体は、3.11後の反原発運動に見られる。なぜなら、そこでは「災害という亀裂に巻き込まれた個が、・・・事後的に抵抗を形成する可能性を示す」からである。すなわち、現代日本における社会変革の主体は、「自律的な個ではない、他者と絡まり合っているがゆえに脆弱で不安定な個」なのである。これは確かに新しい視点であろう。
参加者から、沖縄の現況を念頭に、圧倒的に巨大な権力の暴力に「非暴力」を対置することが果して本当に有効なのか、との問いが出された。これは最初の報告に対してのものだが、第二の報告にも妥当する。いや、本分科会が「非暴力」分科会である以上、分科会そのものに出された根源的な問いであろう。われわれはこの問いに必死に答えて行かなくてはならない。
(藤田明史)