●第3回日本平和学会 平和賞
長崎の証言の会
年刊『長崎の証言』、季刊『長崎の証言』、季刊『ヒロシマ・ナガサキの証言』、年刊『証言―ヒロシマ・ナガサキの声』をはじめとする、被爆者と市民の側から被爆の実態を究明した長年にわたる証言集の編集・刊行活動
第3回平和賞 授賞理由
2010年6月19日
第3回日本平和学会平和賞選考委員会
唯一の被爆国として核の廃絶を国際社会に働きかけるとしてきた政府は、はたして被爆者に正面から真摯に向き合い、その被爆実態をどれだけ明らかにしてきたのだろうか。そしてそれによって核廃絶に向けた国際世論のうねりを呼び起こしてきたのだろうか。
1967年に厚生省はその「原爆白書」(『原爆被爆者基本調査の概要』『健康調査および生活調査の概要』)において、「健康、生活の両面において、国民一般と被爆者との間にはいちじるしい格差はない」としたが、このような原爆認識は、被爆者にとって到底受け入れられるものではなかった。それに対する反発こそが、その後の証言運動の原動力となってゆく。
ただちに広島、長崎において「原水爆被災白書を進める市民の会」が誕生し、被爆者と市民の側から被爆の実態を究明する動きが始まる。そしてこの動きは、報告集『あの日から二十三年――原爆被災者の実態と要求』(1968年)に結実。こうした展開を背景に出発したのが長崎の証言運動にほかならない。その目的は、個々の人間にとって原爆が持った意味を探ることを通じて、(1)政府の被爆者対策や米国の核政策への追随を批判すること、(2)国家補償に基づく被爆者援護と核兵器全面禁止運動への思想的根拠を提供すること、そして(3)被爆者と市民との強固な国民的な連帯を作り上げることにあった。(鎌田定夫「歴史の証言から歴史の変革へ――「長崎の証言」運動とその周辺」広島・長崎証言の会『広島・長崎30年の証言』(下)、未来社、1976年)
「長崎の証言の会」(1968年に「長崎の証言刊行委員会」として結成、1971年に「長崎の証言の会」に改称)の創設にあたって尽力したのは、故・秋月辰一郎氏(初代会長)、故・鎌田定夫氏(二代会長)らであった。証言の会は、原爆と直面せざるをえなかった人間が核時代の同時代人に発する証言を中心に、思想・党派を超えた連帯を原水爆禁止運動に回復することを悲願とした。同会はその後今日に至るまで、年刊『長崎の証言』第1集~第10集(1969~1978)、季刊『長崎の証言』第1号~第12号(1978~1981)、季刊『ヒロシマ・ナガサキの証言』第1号~第21号(1982~1987)、そして年刊『証言――ヒロシマ・ナガサキの声』第1集~第23集(1987~現在)を刊行する。同会の活動はこれらの証言集の編集・刊行にとどまるものではない。それは、多数の単行本(たとえば、前掲の『広島・長崎30年の証言』(上・下)、未来社、1976年)の編集・刊行、被爆遺構フィールドワークの案内と講話、被爆体験講話などを含む。およそ1000編にもおよぶ証言の一覧は、同会の『証言 長崎が消えた』(2006年)に掲載されている。
証言が重みを持つのは、個々の人間にとって原爆が持った意味が、証言に耳を傾ける人間の胸に直接に語りかけられるからである。「思い出したくもない暗い過去、野良犬のようにほっつきまわり、ただ生きるために生きてきた記録を、何もかもさらけ出して書きあげるのはたいへんな勇気が要る。しかし、それを書かなければ戦争と原爆の恐ろしい実態を人々にわかってもらえない」(福田須磨子『われなお生きてあり』筑摩書房、1968年)という語り手の思いが証言を生みだしたのである。
被爆者と市民の側から被爆の実態を究明することは、被爆の実態認識について、政府による独占を認めないことを意味する。それは、「およそ戦争という国の存亡をかけての非常事態のもとにおいては、国民がその生命・身体・財産等について、その戦争によって何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、それは、国をあげての戦争による『一般の犠牲』として、すべての国民がひとしく受忍しなければならないところで[ある]」(1980年の原爆被爆者対策基本問題懇談会の答申)とした政府の受忍論の基底にある原爆認識に根本的な修正を迫るものとなった。
2010年のNPT(核不拡散条約)再検討会議が目前に迫った2009年4月、米国のオバマ大統領はチェコのプラハにおいて、「核兵器なき世界(a world without nuclear weapons)」の実現に向けて行動する同国の道義的責任を認める演説を行った。その一方でプラハ演説は、米国とその同盟国(たとえば、NATO加盟10周年を迎えたチェコ)に対する敵対勢力の武力攻撃を自制させる核抑止力(いわゆる「核の傘」)の効用を強調した。それは依然として、この「核兵器に満ちた世界」を作り上げた論理に依拠するものではなかったか。
このような時期だからこそ、証言運動を通じて形成された原爆認識こそが、日本における反原爆・反核運動の揺るがざる基盤を成してきたことをあらためて確認したい。暴力が人間にとって持つ意味を問い続けるということにこそ、平和研究の原点がある。ここに証言運動を40年余りに亘って展開してきた「長崎の証言の会」に平和賞を贈り、その不撓不屈の志に心から敬意を表する。