100の論点:99. 市民運動の世界的な連帯の可能性について教えてください。

 人は他人との関わり、社会との関わりの中で生きています。誰も一人では生きていくことはできません。寂しすぎます。国も同じです。国も国際社会の中で他の国と交わりを持ちながら、生きています。ただし、個人と国とでは考え方が常に同じとは限りません。時には衝突したり、すれ違いが生じたりします。国の考える利益と個人の考える利益は必ずしも一致しないからです。

 問題は、国と市民の意見が対立した時です。あるいは、国を越えて問題の解決を図らなければならない時です。国が重視する国益と市民が大切に思う市民益や地球益は必ずしも一致しません。そういう時、市民は国境を越えて繋がることによって異議申し立てをしてきました。例えば、1981年、イギリスと西ヨーロッパに巡航ミサイルを配備するというNATOの決定に対し、イギリスの女性たちがグリーナム・コモン米軍基地の周りにピースキャンプを設営し、基地を包囲することによって強く抗議しました。このピースキャンプは、ミサイルが配備される予定のヨーロッパのすべての基地に次々とつくられ、500万人もの人々が参加するデモへと発展しました。

 エセルによると、市民が繋がる原動力になるのは、「怒り」です。「怒り」の出発点はローカルなものであっても、その怒りに共鳴する人々が増え、国際連帯へと繋がります。「アラブの春」とも呼ばれる2011年初頭のアラブ民衆革命では、若者たちの怒りの矛先が民衆の自由を制限してきた長期独裁体制に向けられました。アラブの若者たちの運動は、スペインの若者たちを刺激し、15M(5月15日)運動へと繋がります。数万もの人々が「真の民主主義を今すぐに!」と訴え、首都マドリッドにある太陽の門広場で座り込みを始めました。抗議の背景には、政府による緊縮財政政策に対する批判がありました。巨額の不良債権を抱える銀行を救済する一方で、教育、医療保健、福祉の予算が大幅に削減されたからです。15M運動は、高い失業率や政府の緊縮政策に苦しむ大勢の人々の共感を得て、南欧州各地へと拡大し、その後、ニューヨークに飛び火しました。「ウォール街を占拠せよ」と呼びかける人々が、実際にズコッティ広場を長期間にわたって占拠したのです。「私たちは99%」というスローガンに象徴されるこの反格差社会デモは、アメリカ全土に伝播し、さらにアジアや欧州など80カ国以上の都市で行われました。

 自由民主主義の国でも人々が路上に出て座り込みをしたり、抗議活動を行うのは、代表制民主主義が機能不全を起こしていることに対する、人々の怒りの表出に他なりません。日本でも経産省前のテントで、米軍基地反対を訴える沖縄・辺野古で、原発建設反対を訴える山口・祝島で人々が長期に渡る抗議の座り込みを続けています。脱原発や安保法制をめぐっても首相官邸前や国会議事堂前で大勢の人々が異議申し立てをするようになりました。エセルは言います。「正義と自由を求める権利は誰にでもある。この権利を享受していない人々を見つけたら、その人たちのために立ち上がり、権利を勝ち取るのに力を貸さなければならない」と。それこそが、真のデモクラシーではないでしょうか。(毛利聡子)

 

参考文献

ステファン・エセル(村井章子訳)『怒れ!憤れ!』日経PB、2011年。