民主主義社会の運営において、議論の前提となる情報の公開は必須の条件です。そして情報の公開にとって不可欠であるのが新聞や書籍、テレビ/ラジオ、インターネットのホームページなどのメディアです。メディアが報じる権利については、日本では憲法第21条が「国民の知る権利」として、米国では合衆国憲法修正第1条が「言論の自由」として保障するなど、多くの国が法制化によって謳っています。
とは言え、歴史は私たちに、報道や出版の自由を実際に謳歌することがいかに難しいかを教えてくれています。ヨーロッパでは、新聞の原型が登場した17世紀前半から、権力よる発行禁止などの抑圧が行われていました。日本では1666年、儒学者の山鹿素行が著した『聖教要録』が「不届成書物」として江戸幕府の弾圧を受けました。メディアの歴史は、言論の自由をめぐる戦いの歴史であったと言っても過言ではないのです。
言論の自由は、特に戦時において制限を受けます。国家の非常事態の名の下に、国策の推進と機密の保護が優先されるためです。「民主主義」や「自由」の印象が強い米国でも、戦時においては検閲が導入されてきました。第二次世界大戦中の米国で、原爆開発計画が秘密裏に進められたことはよく知られていますが、その秘密が報道機関を通じて漏れないように検閲局が目を光らせていました。
日本では戦前から言論統制が行われていました。日本の出版物は鉛活字の利用によって印刷が可能となった明治の初めから事前検閲の対象とされてきました。普通出版物は1875年に、新聞は1887年から事後検閲となりましたが、違反による差し押さえや出版禁止処分を恐れ、出版社や新聞社は自己検閲をせざるを得ない状態にありました。すでに言論の自由がこうした制限を受けている中、五・一五事件(1932年)や二・二六事件(1936年)の勃発に伴い、軍部や右翼勢力が台頭し、言論に対する圧力はますます強まっていきました。ジャーナリズムの研究者である前坂俊之は満州事変以来、軍部を支持し、ともに国家非常時のキャンペーンに邁進したメディアにも責任があったとし、「国民の支持基盤を得ていっそう巨大化した軍部の脅威におびえ、批判できない雰囲気を新聞自らがつくり上げていった」と述べています。
海外の戦地に送られた父や兄、夫や息子の活躍や安否を知りたいと願う読者によって販売部数が伸びることも、新聞社が戦争を支持する要因の一つでした。経営者的計算からメディアは軍を批判しなくなったのです。一方、言論統制の外堀も固められ、太平洋戦争時には新聞紙法、出版法、国家総動員法など二十六もの法令が施行されました。
戦後これらの法令はすべて廃止され、代わって占領軍による検閲が行われたことはよく知られています。講和条約の締結によって占領も終わり、検閲も無くなりました。しかし、六年半に及んだ占領軍による言論統制下で生まれた制度、思想、歴史観は残っているのであり、私たちは今もその影響下にあると言えるでしょう。教科書検定の問題もあります。
さて、話をここで米国に戻したいと思います。第二次大戦後、米国内で再び検閲局や戦時情報局が設置されることはありませんでした。その後の戦争では報道機関に自主検閲が要請されましたが、これは愛国心に訴えて協力を求めた自主検閲が成功を収めた第二次大戦の例に習うものでした。しかし、朝鮮戦争では違反を犯すことを恐れるメディア側からの要請によって1950年12月から軍事検閲が復活したと言います。
米国ではまた、第二次大戦後は平時においても、国家の安全保障に関わる情報は大統領令を根拠に機密化されるようになりました。ソ連との冷戦が始まり、特に核兵器施設に関する情報の漏洩をトルーマン大統領は恐れました。しかし、その制度は行政側に乱用されることも少なくなく、情報が閉ざされ、国民の知る権利が冒されることを懸念した議会が、息の長い活動によってようやく勝ち取ったのが1966年に施行された情報公開法(Freedom of Information Act)です。
米国のこの例は、機密制度が一度導入されると、行政はその既得権益を手放したがらないこと、知る権利と機密主義の共存は難しいことを明らかにしています。日本でも2014年12月、特定秘密保護法が施行されましたが、知る権利に柔軟に対応する情報公開制度の導入が求められています。(繁沢敦子)
参考文献
Michael S. Sweeney, The Military and the Press: An Uneasy Truce, Evanston, IL: Northwestern University Press, 2006.
Phillip Knightley, The First Casualty: From the Crimea to Vietnam: The War Correspondent as Hero, Propagandist, and Myth Maker, New York: Harcourt Brace Jovanovich, 1975.
David H. Morrissey, “Disclosure and Secrecy: Security Classification Executive Orders,” Journalism and Mass Communication Monographs, No. 161 (1997), pp. 1-51.
前坂俊之『メディアコントロール:日本の戦争報道』(旬報社、2005年)
前坂俊之『太平洋戦争と新聞』(講談社学術文庫、2007年)
和田洋一「検閲とは何か−−検定の問題をも含めて−−」『人文學』(同志社大学人文学会、1966年3月)、pp. 1-13.
モニカ・ブラウ著、繁沢敦子訳『検閲:原爆報道はどう禁じられたのか』(時事通信社、2011年)