まず、1967年3月29日の恵庭事件札幌地裁判決があります。この事件では、陸上自衛隊の実弾射撃訓練によって被害を蒙った酪農民が演習用の通信線を切断したところ、その行為が自衛隊法121条に違反するとして起訴されました。被告人は自衛隊(法)の違憲性を主張し、裁判では自衛隊の実態審理が進められました。しかし判決は、裁判所が違憲審査権を行使できるのは具体的な争訟の裁判に必要な限度に限られるとし、通信線は自衛隊法121条の「その他の防衛の用に供するもの」に当たらないので、被告人は無罪であり、無罪の結論に達した以上、憲法問題に関して判断する必要がなくなったとして、自衛隊の憲法適合性の問題には一切触れませんでした。
次に1973年9月7日の長沼訴訟札幌地裁判決が重要です。北海道長沼町馬追山の保安林に航空自衛隊の基地を建設するために保安林の指定解除がなされたところ、町民らが憲法9条に違反する基地建設は、森林法26条の保安林指定解除の要件を欠き、違憲違法だとして、農林大臣の指定解除処分の取消を求めて出訴しました。札幌地裁判決は、自衛隊の実態は明らかに軍隊であり、自衛隊は憲法9条2項で保持を禁止されている「戦力」に該当すると判断しました。地裁判決はその後札幌高裁判決によって取り消され、1982年9月9日の最高裁判決でも上告が棄却されました。しかしその理由は代替施設の完備によって原告住民には「訴えの利益」がなくなったというものであって、自衛隊の違憲性についてはまったく判断されませんでした。
第三に、自衛隊イラク派兵違憲訴訟の2008年4月14日の名古屋高裁判決があります。原告らは、自衛隊のイラク派遣の差し止め、違憲性の確認、平和的生存権の侵害に対する損害賠償請求を求めました。原告らの請求を退けた名古屋地裁判決を受けて、名古屋高裁は判決主文では控訴を棄却しましたが、判決理由では自衛隊のイラクでの活動を憲法9条1項に反すると判断し、平和的生存権の具体的権利性を認める判決を出しました。結局、いずれの憲法訴訟においても、自衛隊の憲法適合性は司法上未決着状態になっています。
安保条約の合憲性に関しては、米軍立川飛行場の拡張に反対して基地内に立ち入った市民が起訴された砂川事件があります。第一審は、駐留米軍は9条の禁止する戦力に該当すると判断しました。国側の跳躍上告を受けた最高裁は1959年12月16日の大法廷判決で、駐留米軍は憲法9条2項の禁止している戦力に当たらないとし、安保条約の合憲性の判断は「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限り、裁判所の司法審査権の範囲外のもの」であり、安保条約に基づく米軍の駐留は一見極めて明白に違憲無効とはいえないとしました。この事件の背景として、田中耕太郎最高裁長官が駐日アメリカ大使らと連絡を取り合っていたことが米外交文書によって最近明らかになり、司法権の独立をめぐる問題が指摘されています。 (稲 正樹)
参考文献
深瀬忠一『恵庭裁判における平和憲法の弁証』日本評論社、1967年。
深瀬忠一『長沼裁判における憲法の軍縮平和主義-転換期の視点に立って』日本評論社、1975年。
稲正樹「長沼事件」石村修・浦田一郎・芹沢斉(編著)『時代を刻んだ憲法判例』尚文社、2012年所収。
川口創・大塚英志『今、改めて「自衛隊のイラク派兵差止訴訟」判決文を読む』星海社、2015年。
布川玲子・新原昭治(編著)『砂川事件と田中最高裁長官―米解禁文書が明らかにした日本の司法』日本評論社、2013年。
吉田敏浩・新原昭治・末浪靖司『検証・法治国家崩壊-砂川裁判と日米密約交渉』創元社、2014年。