100の論点:89. 草の根の人々はどのように安全を保障し、平和をつくってきたのでしょうか。

  「安全保障」というとき、たいていの場合「国家」と「軍事力」という限定がついています。国家の安全を軍事力で保障するというわけです。けれども人類の長い歴史をみると国家を形成するようになったのはごく最近のことです。また安全を保障する手段は軍事力だけではありません。では、国家に取り込まれていない草の根の人々が、国家と軍事力によらずに、どのように安全を保障し、平和をつくってきたのでしょうか。文化人類学の知見をひもといてみましょう。

 この点で示唆的なのが、アフリカ・西ケニアの「アバメニャ」です(松田)。アバメニャとはマラゴリ語で「流れ者」とか「居候」という意味です。ヨーロッパ列強により植民地化される以前のこの地域で、数人、数家族単位で自由に移動する人々の存在は普通でした。そうした流れ者たちは、移動した先の人々を尊重する限り、出自に関係なく受け入れられました。受け入れ先の人々の中には、元流れ者もいました。もちろん「国境」でパスポートがチェックされることなどありません。そもそも国境はありませんでしたから。国境線でがんじがらめの現在の世界とは違った、流動的なあり方が、主権国家という仕組みが発明・強制される以前は普通だったのです。

 松田素二はアバメニャを、「民族(植民地政府が固定しようとする「部族」)の境界を超えて、異なる民族内に共通の「一族」をつくりあげる役目も果たしていた」と述べ、「隣接する民族集団のなかに、その集団を横断した同盟関係を築くということは、アフリカ社会では頻繁にみられる現象であった」と指摘しています(松田)。そして、この一地域に限定されない「アバメニャ・システム」は、「全面的な民族対立を回避するためにつくられたアフリカ社会の知恵」だと評価しています。

 しかしヨーロッパ列強がアフリカを植民地支配する中で、アバメニャのような人の流動性は禁止され、人々は決まった地区への定住を強いられ、厳格に管理されるようになります。労働力の調達と税の取り立てという植民地権力の都合のためでした。その結果発明されたのが「部族」という集団単位と、「首長」を通した間接統治のシステムでした。よくアフリカは「部族社会」のように言われますが、それは植民地支配後の現象なのです。そして「部族紛争」とは、むしろヨーロッパの植民地権力による「分断統治」が要因となって引き起こされたものです。前近代的とされる「部族」と、一方で近代的とされる「国民国家」とは、人を明確なボーダーで囲い込み、固定化する点で似通っていることも指摘しておきたいと思います。その意味でヨーロッパは「部族社会」です。

 人の動きを国境線で封じ込めることで成立した「国家」という単位の外に出てみると、通常言われる「安全保障」がいかに特殊なものかが明らかになります。それと共に、流動性によって顔見知りの関係を作り出し、全面的な対立を防ぐ「もうひとつの安全保障」の可能性も見えてきます。

 いま問題となっている安全保障関連法案は軍事的な国家安全保障の枠組みから一歩も出ていません。それは名目とは裏腹に、軍事的緊張と戦争の危険性を高め、人々の安全を損なうおそれが強くあります。それとは違う安全保障と平和の方向性を、アバメニャは示唆しているように思えます。このように流動的な人間関係は、アフリカや「前近代」だけに限定されるものではありません。アバメニャを可能にしていたものは、よそから来た人を迎えいれる「歓待」の仕組みでした。この「歓待」を私は人間に普遍的ともいえる現象ではないかと考えています。

 20世紀の二つの世界大戦は、国家ごとに人間が分断され、「敵」として戦い合う総力戦でした。またホロコーストを帰結したレイシズム(人種主義)も人間を絶対的に分断するものでした。こうした巨大な暴力の経験の後で、「歓待」を主題とした思想がレヴィナスによって提起されたこと。そして移民難民という現代の人の流動性に関して、デリダがやはり歓待をキーワードに論じていることに注目したいと思います。

 現代では当たり前になっている「国家」とそれを前提にした「安全保障」の外に出てみましょう。そのとき「安全」と「平和」のもっと広い可能性が見えてくるでしょう。きっちりとしたボーダーを引かずに、コミュニティ間を人が移動し、互いに歓待して、顔見知りになり、家族・友人になったりしながら交流し、全面的な敵対関係・戦争が防がれる仕組み。実はよそ者の歓待は、国民国家の枠内であるにせよ、私たちがローカルな日常生活ですでに実践し、経験しているものでもあります。草の根の歓待の権利は、主権国家の「出入国管理システム」に奪われていきました。国家による人の分断状況から脱しながら、歓待と流動性を回復してゆくこと。その果てにある融通無碍な関係性は、国境線という不自然な障壁をはさんで武器を向け合う「安全保障」よりも、よほど自然なものではないでしょうか。風にパスポートはいらないように。(小田博志)

 

参考文献

デリダ,ジャック(広瀬浩司訳)1999『歓待について―パリのゼミナールの記録』産業図書

松田素二1999『抵抗する都市』岩波書店

レヴィナス,エマニュエル(熊野純彦訳)2005-6『全体性と無限』(上,下)岩波書店