敗戦後、連合国が日本の指導者の責任、戦争犯罪を追及する中で、戦争責任という言葉が急速に広まりました。誰が誰に対し、どのような戦争の責任があるのか。責任を負う主体と相手とによってさまざまな戦争責任が考えられてきました
1945年8月28日には東久邇稔彦首相が「一億総懺悔」を説いています。敗戦は政府の政策もよくなかったが、国民の道義がすたれたのも原因であるから、軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならないと述べています。12月には第八十九回帝国議会が「戦争責任に関する決議」を行っています。軍閥官僚が指導した戦争に従った政界財界思想界の責任は免れない。議員も静かに過去の行いを反省し、深く自粛自戒して新日本建設に邁進しなければならないというものでした。誰がどのような責任をとるのかはっきりしない「決議」で、議会も解散していません。一方、12月8日、再建された共産党など5団体が中心になって神田の共立講堂で「戦争犯罪人追及人民大会」を開きました。そこで天皇を含む戦争指導者など1000人以 上の戦犯名簿を発表しましたが、その後の「追及」は進みませんでした。
GHQは占領直後から戦争犯罪人容疑者の逮捕を進めていました。1946年4月29日、連合国11か国が開く極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)の法廷に28人の起訴状を提出し、5月3日には法廷が開かれました。また、横浜を含むアジア各地でも連合国が法廷を開き、日本の戦争犯罪を追及しました。
このように敗戦直後から天皇はじめ国家指導者などの責任が問われてきましたが、その後、戦争に協力した国民の責任や他国や他民族を侵略した「国際的責任」も取り上げられてきました。石田雄「戦争責任論50年の変遷と今日的課題」(『記憶と忘却の政治学』明石書店 2000年)は、市民運動の立場から戦後日本の戦争責任の動向をわかりやすくまとめています。
大学、宗教界では、1995年6月に明治学院大学が「戦争責任・戦後責任の告白」をだしています。日本基督教団など教会も戦争責任を表明しています。仏教界も戦争協力を告白し、戦争責任を反省する声明文などをだしています。戦後70年、ジャ-ナリスト、法曹界、研究者などの戦争協力を明らかにし、戦争責任を問う研究が行われてきました。(内海愛子)
参考文献
家永三郎『戦争責任』岩波現代文庫 2002年。
荒井信一『戦争責任論』岩波現代文庫 2005年。
纐纈厚『私たちの戦争責任』凱風社 2009年。