靖国神社は第二次大戦の戦犯が合祀されている戦争美化施設として韓国でも知られています。間違った説明ではないのですが、それだけが靖国問題の全てではありません。韓国の国立顕忠院やアメリカのアーリントン国立墓地のように、靖国神社も国家のために命を落とした兵士を追悼する施設なのに何が問題なのかと、日本の学生たちから質問を受けることがあります。
まず、靖国神社は特定時期の日本の天皇のために作られた施設だという特質を見逃してはなりません。靖国には、1869年(明治2年)、戊辰戦争の官軍の戦没者を弔うため明治天皇の意向で建てられた東京招魂社が始まりで、明治維新、日清・日露戦争、第二次大戦の戦没者ら祭神246万6千余柱が合祀されていると言われています。正確には国家のためではなく、天皇のために死んだ軍人および軍属のための施設なのです。
二番目に、靖国神社は追悼の自由を認めません。追悼施設であれば遺族の考えや気持ちを無視することはできないはずです。宗教的または平和的な理由で、靖国合祀取り消しを要求する遺族たちがいます。しかし、靖国神社は祭られた246万6千余柱の神霊は一つの神様であり、一度神として登録された人は誰も取り消しできないと言うのです。笑えないことに、亡くなったと思って合祀された軍人が生きて返ってきたという実例があります。しかしその場合でも合祀の取り消しはできません。一度神になれば永遠の神になるわけです。
三番目に、靖国神社の植民地支配は永遠だという問題です。靖国神社には韓国および台湾出身の軍人および軍属など約5万人が日本名で合祀されていると言われています。戦前朝鮮人と台湾人は日本の「臣民」として死んだので、日本人扱いをしているわけです。ところが日本の軍人および軍属と同様の援護を要求すると、1952年以後、朝鮮人と台湾人は日本国籍を失ったので資格がないというのが日本政府の回答です。合祀の場合は日本人、補償については外国人として取り扱っているのです。植民地支配は終わっても、霊魂に対する植民地支配は今なお続いているのです。
靖国問題のもっと本質的な問題は、加害者が犠牲者を「英霊」として「顕彰」することによって加害の本質を隠し、次の「犠牲」を強要するイデオロギー機能にあります。たとえ遺骨が帰ってこなくても靖国神社に祀られているので、自分の息子は、夫は犬死ではなかったと、遺族に自らを慰めることを強要します。まさに愛する家族の死に対する悲しみを喜びとして認識させ、むしろ加害者にありがたみを感じさせる錬金術装置であり、純粋な宗教施設とは縁遠いものであります。
安保法制がついに強行採決で成立しました。それにより、戦闘地域への自衛隊派兵が実施され、いつか戦死する兵士がでてくることは必至です。靖国神社は現在の時点では、「戦死自衛官は『合祀せず』」(東京新聞2015年8月14日)と言っています。しかし、政府機関と手を組んで秘密裡にA級戦犯を合祀した前歴があり、また、首相が政教分離の憲法の原則を破って堂々と公式参拝をし、毎年多くの国会議員が参拝行列を続けているなか、だれがその説明を信じることができるでしょうか。
戦後70年を迎え、安保法制で日本は平和国家の本質を自ら破って変質した国に生まれ変わってしまいました。しかし、その中で「闇」の靖国が再び登場していることを忘れてはなりません。それは戦後70年間侵略戦争と植民地史観を生み出してきた靖国問題を放置してきた私達の責任でもあります。 (李 泳采)
参考文献
高橋哲哉『靖国問題』ちくま新書、2005年。
内田雅敏『靖国参拝の何が問題か』平凡社、2014年。
辻子実『靖国の闇にようこそ―靖国神社・遊就館非公式ガイドブック』社会評論社、2007年。
「平和の灯を! ヤスクニの闇へ キャンドル行動実行委員会」(http://peace-candle.net/)