100の論点:59. 安全保障とは何でしょうか。

 このたびの「安保法案」は、ほとんどの憲法学者が憲法違反であると指摘しているために、その賛否をめぐって「憲法か安全保障か」という論理で論じられることがあります。憲法学者(法律家)は反対かもしれないが、緊急の例外的な政治状況を加味する安全保障研究(政治学)では必ずしもそうではないのではないか、というわけです。しかし、この対比のさせ方は誤解を招きます。結論から言えば、この法案は安全保障研究や政治的現実主義の立場からも大きな問題を抱えているといえるからです。

 国際政治において現在のような意味における「安全保障(security)」ということばが確立したのはそれほど遠い昔ではありません。20世紀のアメリカが舞台でした。その背景には、アメリカの国益を敵国の攻撃(特に核攻撃)からいかに守るか、という問題意識がありました。米ソが核兵器を向け合った東西冷戦という独特な歴史的環境の中で、安全保障研究も独自の展開を遂げました。それゆえ、これまで「安全保障」とは、主に国家の軍事的な安全をめぐる問題、つまり、「国家安全保障(national security)」を意味してきました。しかし現在の安全保障研究は、ここから大きな進歩を遂げています。

 「安全保障」と一口に言っても、よく考えれば、それが「誰が」「誰を」「何から」「どのような手段で」守るのか、といういくつかの構成要素から成り立っていることがわかります。いうまでもなく伝統的な安全保障概念では、「政府(国家)が、国民や国益を、敵国の脅威から、軍事力によって守る」ということになります。しかし、まず「何から」という安全保障の対象である「脅威」ひとつを考えてみても、現代ではそれがきわめて多様化していることがわかります。たとえば経済危機や難民、疫病や災害、気候変動や大規模事故、サイバー攻撃など、時に国家の存亡を左右するような事態は軍事的な事には限定されません。さらにこのように脅威が多様化することで、安全保障の手段(「どのように」)も軍事力一辺倒では対応できなくなっています。

 さらには、安全保障の主体(「誰が」)や客体(「誰を」)についても、それがもはや自明ではなくなるような多くの事態が生じています。国連を中心に「人間の安全保障(human security)」という新しいことばも使われるようになりましたが、たとえば、沖縄の米軍基地問題を見てみると、「国家は本当に国民を守るのか」、あるいは「国家が守るというのは本当は何であるのか」という根源的な問いが浮かんできます。現代の紛争は、国家間紛争に加え、内戦やテロリズムなど、多くの場合非国家主体をも前提にしなければならず、その意味で安全保障政策における主体や客体も複雑化せざるをえません。

 さらに近年の安全保障研究では、安全保障政策の前提となる「脅威」の認識が、各国政府によってむしろ意図的に構築されているのではないか、という指摘もなされるようになりました。つまり、「脅威はつくられる」のです。したがって、私たちが戦争に備えるための「脅威」の存在を聞くとき、その「脅威」の認識が実際にどのようにつくられ、共有されてきたのかについてもよく精査する必要があります。ややもすると、その「脅威」を当座牽制するための軍事的措置(抑止力)こそが、その「脅威」を拡大し、やがてブーメランのように自分たちの安全を脅かすという逆説的構造になっているかもしれません(これは次の論点60のところで論じられますが、「安全保障のジレンマ」といいます)。

 このように軍事・政治・経済・文化がますます複雑に相互連関する現代世界では、多国間や社会間の複数の関係を前提にし、「予防外交」や「信頼醸成措置」を重視する「協調的安全保障(cooperative security)」政策の有効性が見直されるようになりました。これは、日本国憲法が謳っている理念と多く重なります。しかし、このたびの「安保法制」では、日米二国間の軍事的論理が偏重されるあまり、こういった新しい安全保障研究が指摘するような包括的な論点がふまえられていません。たとえば、何をもって国家の「存立危機事態」であるのかが曖昧なままで、その判断が時の政府に任されることになっていますが、それこそが安全保障政策の根本問題なのです。

 つまり、憲法に反するから、というのはもちろんですが、、むしろ日本の将来の安全保障政策を閉塞化させ、またこのことが私たちの将来の安全を本当に守ることになるのかきわめて疑問であるというごく現実的な意味において、この法案は大きな問題を抱えていると言わざるをえません。(佐々木寛)

  参考文献

  五十嵐暁郎・佐々木寛・高原明生『東アジア安全保障の新展開』明石書店、2005年

  五十嵐暁郎・佐々木寛・福山清蔵編『地方自治体の安全保障』明石書店 2010年

  小関彰一『安全保障とは何か――国家から日本へ』岩波書店 2013年

遠藤誠治・遠藤乾編『安全保障とは何か』岩波書店 2014年