日本国憲法(以下、憲法)の平和主義は、前文や9条のみでなく18条(9条の制約と並び国民皆兵制としての徴兵制を「意に反する苦役」として禁止)、76条2項(司法における特別裁判所設置の禁止により軍法会議・軍事裁判の禁止)や戦争・軍事関連の規定が欠けていることに示されるように、戦争・武力行使と軍事法を認めない構造をなしていると考えられます。はじめに前文は、日本国民が「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」「主権が国民にあることを宣言し」て「この憲法を確定する」と述べました。このようなアジア太平洋戦争の惨禍に対する基本認識のもとに憲法を制定する意義をはっきりさせたのです。つづいて国民は「恒久の平和を念願し」て「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に追放しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたい」と考え、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」しました。平和のうちに生存することの「権利」性を確認したこと(人権としての平和)は画期的であり、平和を政治的多数者の政策的決定に委ねてはならないことを示しています。
憲法に「戦争・軍事関連規定が欠けていること」の規範的な意味を理解するためには、立憲主義の意味を正しく理解する必要があります。立憲主義は、主権者国民が人権保障を基本目的に立法・行政・司法などの政府権力を設け・権限を授け・その行使を制限する考え方ですが、「憲法が明確に制限した以外は禁じられていない」という政府権力を解き放つ理解は天皇主権の明治憲法時代の誤った考え方です。憲法に戦争・軍事に関する規定(明治憲法には宣戦布告・講和や緊急権、軍事力の設置や運用などの定めがありました)が存在しないことは、明らかにそれらを容認しない・排除する原則に立ったということを意味します。憲法66条2項は内閣総理大臣・国務大臣が「文民」(シビリアン、非軍人)でなければならないことを定めますが、その裏を読んで「軍人」「軍隊」を制度化することを憲法は容認すると解釈するものがいます。しかし西ドイツのボン基本法(1949年5月23日制定)4条3項が何人もその良心に反して「武器をもってする戦争の役務」を強制されないと定めたこと(良心的兵役拒否)の裏を読むことにより軍事力が前提されるとする議論はドイツ国法学会で否定され、結局1956年3月19日の基本法改正によって国防軍設置などが行われました。つまり軍事力創設は法理論上・実践上憲法改正事項なのです。
さて平和主義の基本を定める9条は、1項で国権の発動としての戦争・武力行使の放棄を、2項で陸海空軍その他の戦力=軍事力の不保持と交戦権の否認を明らかにしましたが、これを「非戦・非軍事憲法」と呼びたいと思います。1項は普遍主義の不戦条約(1929年)の系譜に連なり、自衛権を否定しないとしても武力行使による「自衛の措置」を許容していません。2項は軍事力の不保持規範とともに特に交戦権(交戦当事者の権利)否認の規範によって歴史的に独自な特徴を示しています。
最後に憲法の平和主義は、単に「戦争のない状態」という意味の「消極的平和」に満足するものでなく、戦争や紛争の根本原因となる貧困や差別、抑圧が「構造的な暴力」として組み込まれている状態を認識し、原因を「積極的に」除去する「積極的平和」(平和学研究者=ヨハン・ガルトゥング)をも目標として「国際社会に名誉ある地位を占める」ことを志向していると考えられます。そのなかに目前にある「積極的な難民救援施策」や「難民の積極的な受け入れ」も含まれるでしょう。(古川 純)
参考文献
古川純・山内敏弘『戦争と平和』(人間の歴史を考える13)岩波書店、1993年