東西冷戦が終わり、21世紀は「戦争の世紀」から「平和の世紀」へ転換することが期待されていました。しかし2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発攻撃にはじまり、2015年11月13日のパリ同時多発攻撃にいたるまで、21世紀は「テロ」と「対テロ戦争」が応酬し合う世紀となっています。
ここで「テロ」「対テロ戦争」とカギ括弧をつけたのには、理由があります。「テロ」「テロリスト」について、国際法で合意された定義はありません。どの暴力を「テロ」と判断するか、誰を「テロリスト」と認定するかは、時代や立場によって異なります。たとえば、アパルトヘイト(人種隔離政策)下の南アフリカで白人政権に抵抗したアフリカ国民会議を、アメリカは2008年まで「テロリスト」認定していました。スリランカで多数派のシンハラ人による差別に対し、民族自決を訴えたタミル・イーラム解放のトラ(LTTE)は、スリランカ軍の攻撃で壊滅状態になり、敗北宣言を出しましたが、依然として西側諸国に「テロリスト」認定されています。差別や迫害の主体となっている権力側(多数派、主流派)が、自身に抵抗する勢力を非合法化するために、「テロリスト」という用語をつかってきた一例です。そして、抵抗勢力がひとたび「テロリスト」として認定されれば、その勢力への武力・暴力の行使は、「正義の戦い」として合法化・正当化されてしまいます。
2001年の同時多発攻撃以降、アメリカは新たに37の組織を「テロリスト」として認定しました。そのほとんどが「イスラーム過激派」組織です。アメリカを中心とした有志連合の「対テロ戦争」によって、アフガニスタン、イラク、シリアの3カ国だけでも、これまでに26万3000人以上の死者が出ています。治安部隊、反政府武装勢力を含めると、その数は50万人にのぼります。これだけの生命を犠牲にしながら、「対テロ戦争」は「テロ」をなくすことに成功していません。むしろ、「対テロ戦争」の名のもとにおこなわれた大虐殺、拷問などの人権侵害は、とくにムスリムのあいだで同胞意識と反米感情をかきたてました。
暴力と憎悪の連鎖を断ち切るのは、「対テロ戦争」ではありません。なぜアメリカやパリの同時攻撃による被害者は国際社会に悼まれ、アジア、中東、アフリカ、中南米で差別、迫害される人びとには関心が寄せられにくいのか。なぜアメリカやパリの同時多発攻撃は「テロ」で、有志連合によるアフガニスタン、イラク、シリアの空爆は「正義の戦い」と称されるのか。抑圧される側の抱える不公正感は、「テロリスト」を生む土壌となっています。生命の値段に差をつけるかのようなダブルスタンダードを克服しない限り、国際社会は「テロ」をなくすことはできないでしょう。(佐伯奈津子)
「対テロ戦争」による死者(2001年10月〜2015年4月)
アフガニスタン 9万2000人(民間人2万6000人)
イラク 19万4000〜22万2000人(民間人13万7000〜16万5000人)
シリア 22万人(民間人10万5000人)
※アフガニスタンとイラクはブラウン大学ワトソン研究所、シリアはシリア人権監視団の調査による
参考資料
チャールズ・タウンゼンド著、宮坂直史訳・解説『1冊でわかるテロリズム』岩波書店、2003年
ブラウン大学ワトソン研究所「戦争の人的代償」http://watson.brown.edu/costsofwar/
シリア人権監視団 http://www.syriahr.com/en/
アメリカ国務省「国際テロ組織」http://www.state.gov/j/ct/rls/other/des/123085.htm
公安調査庁「国際テロリズム要覧」http://www.moj.go.jp/psia/ITH/index.html